東京都中野区のプロテスタントの教会 キリスト集会
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花かご

歎異抄と福音 -11-

イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」(マルコ9章23節) 半信半疑の父親に向かって、主イエスは上記のように言われた。信じる者には何でもできる、と。何でもという言葉に疑問を持つかも知れませ …

歎異抄と福音 -10-

あなたがたは「先生」と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。 (マタイ23章8節)  これは、群衆と弟子たちに語られた主イエスの言葉で、律法学者らが「先生」と呼ばれていたことが背景 …

歎異抄と福音 -9-

だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。(マタイ12章50節)  歎異抄第5条は、親鸞は、父母の孝養(追善供養)のためのみに念仏を称えたことは、これまで一度もない…、との驚く …

歎異抄と福音 -8-

たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、 もし愛がなければ、いっさいは無益である。    (Ⅰコリント13章3節)  慈善事業と信仰。歎異抄第4条は、そのこと …

歎異抄と福音 -7-

長い間、禁書として埋もれていた『歎異抄』を蘇らせたのが清沢満之(1863-1903)でした。バッハの『マタイ受難曲』を蘇らせたメンデルスゾーンのような人でした。その清沢は、次のような話を書いています。 ある所に二軒の家が …

歎異抄と福音 -6-

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。                                (Ⅰテモテ1 …

歎異抄と福音 -5-

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」 (マルコ2章17節)   私たちは皆、医者を必要とする病人 …

歎異抄と福音 -4-

ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。 (使徒15章1節)   初代教会は「信仰だけでは救われない。割礼を受ける必要がある」と …

歎異抄と福音 -3-

わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。 (ヨハネ10章28節)  これは主イエスの言葉です。彼ら=「わたしの羊」と呼ばれています(27節)。主の御声を …

歎異抄と福音 -2-

神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。(Ⅰテモテ2章4節)  私たちが救われるために必要なのは「信仰」です。真理を知り、理解してから救われると言うより、救われて真理を知る。その …

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