キリスト同信会の礼拝は、賛美歌、聖書箇所、建徳に立つ者等を事前に取り決めていません。それは、礼拝を整え導かれる聖霊が自由に働けるためです。そしてそれが、使徒言行録に記されている初代教会の礼拝に通じている、と信じるからです。
司会者を立てず、プログラム化していませんが、大まかなながれは、
礼拝の言い表し→パン裂き→建徳となっています。
礼拝の言い表し
神を賛美し、ほめたたえるのが礼拝です。それは神に造られた人間にとって、最高の行為です。礼拝室は、聖餐のテーブルを中心に置き、それを囲むように席を設けています。中心は主イエス・キリストだからです。十字架と復活の主を仰ぎ、その主に誉れを帰すために礼拝に行くのです。自ら行くというより、主に招かれて行くのです。
川で溺れる人は「助けて!」と叫びます。「願い」です。神に~してください、と願います。そして、助けられたら「ありがとう」と、お礼を言います。「感謝」です。私たちは主イエス・キリストに救われて喜び感謝します。多くはそこで止まりますが、主を知れば知るほど、このお方がどれほど素晴らしいかを、言い表さずにはいられなくなります。それが「礼拝の言い表し」です。私たち人間の側のことは一切言わず、主御自身がどのようなお方であるかに集中します。その後、パンと杯を通して、主イエス・キリストの命をいただきます。
パン裂き(聖餐)
礼拝の中心はパン裂きです。使徒言行録20章7節に、「パンを裂くために集まっている」とあるからです。
それはイエス・キリストが十字架にかけられる前夜、12人の弟子たちに「裂かれるパンは私の体を、回される杯は私が流す新しい契約の血。私を記念するために行いなさい」と言われたことに由来しています。イエス・キリストを救い主と信じる方は、どなたでも与(あずか)ってください。
建徳
続いて建徳がなされますが、建徳と呼ぶのは、「預言する者は教会の徳を建つ」(Ⅰコリント14章4節・文語訳)に由来します。預言するとは、聖書から語ることです。説いて教えると言うより、自らが教えられた主の愛と御心を語ります。
毎週日曜日に話された建徳の概要はこちらをご覧ください。