2026年4月26日
主日礼拝

ヘブライ人への手紙2章10節:というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。イエス様の十字架は、人間の罪の後始末として不本意ながら導入されたものではありません。十字架の栄光こそ父が求められたことなのです。万物は神から出て、神に向かいます。苦しみを通してキリストを完全にすることは、そのような神にふさわしいことだったのです。苦しみがより大きな栄光をもたらします。苦しみは人間にとって最大の恵みである。それによって、より深くわたしを知ることができる。これが主のお考えです。父の不動の目標はより大きな栄光であり、私たちの願望は楽な毎日です。私たちは、栄光は少しでいいから、もっと楽にして欲しいと思っています。しかし、主が満足されればそれでよい、と遜って主に従うとき、大きな栄光が現されます。          (中山C)

詩編23編:多くの詩編は叫び、涙、訴えで満ちていますが、この詩にはそれがありません。「主は私の羊飼い」「私には何も欠けることがない」「あなたが私と共におられる」「恵みと慈しみはいつも私を追って来る」と静かに語りかけます。死の陰の谷を通らされるとしても、災いを恐れません、あなたが一緒に居て下さるからです、とダビデは言います。私たちが住むこの世界には危険があり、死の陰の谷もあります。だから、羊が危険に怯えるように、私たちも恐れます。でも、その只中に神が共にいてくださるから、何も恐れなくて良いのです。この詩は、それを教えています。敵や恐怖ではなく、恵みと慈しみがいつも私を追いかけて来るからです。映画「エレファントマン」のラストシーンで、主人公メリックは詩23編を暗唱しつつ、その愛の御手に身を委ねて最期を迎えます。         (浜田)

礼拝讃美歌329番:主は わが飼い主 我は主のもの 乏しきことなし 君養えば。

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2026-04-26 中山兄、浜田兄(16:00))