飢饉が極めて激しく、世界中に食料がなくなった。エジプトの国でも、カナン地方でも、人々は飢饉のために苦しみあえいだ。 (創世記47章13節)
指導者としてヨセフの真価が問われる現実を前にします。飢饉が極めて激しく加速していったからです。食料を求めて殺到する人々に、ヨセフはどう対応したかが、創世記47章13-26節に記されています。上記の聖句が示す飢饉の問題への対処です。ヨセフはエジプトの国とカナン地方の人々が穀物の代金として支払った銀をすべて集め、それをファラオの宮廷に納めました。注目すべきは、エジプト人からも代金を受け取った点です。
銀が尽きると、エジプト人は皆、ヨセフの所にやって来て、「食べる物をください。あなたさまは、わたしどもを見殺しになさるおつもりですか。銀はなくなってしまいました」と言った(15節)。
もう支払う銀が無い!しかし、生きるための食料は欠かせない、と泣きついたのです。するとヨセフは答えます。「家畜を連れて来なさい。もし銀河なくなったのなら、家畜と引き換えに与えよう」。人々は家畜を連れて来ました。家畜は田畑を耕すのに欠かせませんが、飢饉では無役です。ヨセフは穀物を、ただ(無料)では与えませんでした。銀が尽きると、所有する家畜を代価にしました。家畜が尽きると、土地とそこに住む国民(住民)を代価にしました。こう言うと、酷い搾取に思えるかもしれませんが、そうではありません。国民自らがそれを願ったからです。飢えに困窮し切っていたのと、ヨセフへの絶大な信頼の故でした。
次の年になると、人々はまたヨセフのところに来て、言った。「食料と引き換えに、わたしどもと土地を買い上げてください。わたしどもは農地とともに、ファラオの奴隷になります。種をお与えください。そうすれば、わたしどもは死なずに生きることができ、農地も荒れ果てないでしょう。」 (創世記47章18-19節)
もしヨセフが家畜を引き換えにしなかったなら、家畜はきっと食べられていました。そうすると、飢饉が終り農作業が始まれば、たちまち家畜の労働力が必要になり、困ったでしょう。多くの国民はそこまでの長期的な展望よりも、目先のことに終始しがちです。ヨセフが家畜を代価にしたのは、家畜を確保するためでした。種を求めたのは、飢饉が最終年に近づいていたからです。どんなに酷い中でも、将来を見据えたい。
