2026年4月19日
主日礼拝

マタイによる福音書25章31~46節:はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。
この「羊と山羊」のたとえは、終末に備える信仰者の姿を説いています。トルストイの民話では困窮者への施しが主への奉仕として描かれますが、これを天の御国への「条件」とするのは律法主義的で読み違えています。真の愛とは、見返りや利益を求めるものではなく、神に義とされた「結果」として無意識に「最も小さい者」へ寄り添う姿を指します。対
照的に、自分に利益がある相手にだけに施すのは真の愛ではありません。聖書が示す逆説は、取るに足らない者への行為こそが主(人の子)へのものとなる点にあります。困難な時代にあっても、祈りと御言葉を絶やさず、周囲の困っている人に自然と手を差し伸べられるような信仰者にされていきたいと思うのです。  (小林)

②ヨハネ14章27節:わたしは、あなたたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。
14章は冒頭から、「心を騒がしてはなりません」と十字架の死を前にしても、後に残す弟子たちを思い遣る主イエスです。私たちも色々なことで心を騒がせます。そんな時、この世が与える平安とキリストが与える平安との大きな違いを思います。世が与える平安は、仕事・経済・人間関係など外側の条件が整うことを最優先します。それに対してキリストの平和は、状況ではなく、神との関係の改善を第一にし、罪の赦しが根底です。それは、不安や怖れの状況があっても平安がある、嵐の中での平安です。
フィリピ4章7節:あらゆる人知を超える神の平安が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守る。
人知では到底はかり知ることのできない神の平安、それが主イエスが与えると言われた平安です。それは、道・真理・命であるキリストご自身です。それが不安の中でストンと心に入るのです。    (浜田)

礼拝讃美歌256番:恐れは変わりて祈りとなり 嘆きは変わりて歌となりぬ 歌いつつ歩まんハレルヤ!ハレルヤ! 歌いつつ歩まん この世の旅路を。

③ 礼拝讃美歌209番「いつかは知らねど」の解説 (浜田)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2026-04-19 小林兄、浜田兄(16:00)、浜田兄(34:00))