ヤコブは、「私のたどった年月は130年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません」と、王に答えた。         (創世記47章9節)

ヤコブは130年の生涯を思い返し、「短い生涯であり、苦しみばかりだった」と話しています。不幸せが実感だったのです。母リベカの勧めもあって、兄の祝福を騙し取ったため、母の実家に逃亡。そこでラケルと出会うのですが、彼女の兄ラバンの策略に遭い、苦労します。最愛の妻ラケルを、弟ベニヤミンの出産直後に喪います。更に、特別に愛した17歳のヨセフと生き別れになってしまう。そうした辛く、苦しい日々が「ふしあわせ」と言わせています。

幸せな記憶はすぐに忘れてしまう。むしろ、不幸な記憶ばかりが、いつまでも心の襞(ひだ)に染みついて消えない。だけど、そうではないはず。神が共にいて祝福されたことなど、感謝すべきことが沢山あるはず。もし失ったものばかり数えれば、ヤコブのように「ふしあわせ」になります。そんなヤコブでしたが、エジプトで、この後17年生きます。子や孫らに看取られる幸いな147年で最期を迎えています。間違いなくヨセフとの再会によって、ヤコブは生き返り、喜びの人生へと変えられたのです。エジプトで過ごした17年が人生最後の年月でしたが、これほど幸いな時はなかったでしょう。その意味でも、ヨセフは主イエスの型でした。父ヤコブだけでなく、兄たちをも救ったからです。ヨセフの物語がどの族長よりも多く記されているのは、主イエスを指し示しているからなのです。

騙し、騙されてきたヤコブの人生は不幸でした。こんな思いのままで死を迎えてはいけない。だから神はヤコブに、更に17年の余生を恵まれました。この17年は、これまでの生涯で最も幸いな月日でした。ヨセフとの再会は、夢のよう。ヨセフは父たちに住まいとして与えた地は、「ラメセス地方の最も良い土地であったヨセフはまた、父と兄弟たちと父の家族の者すべてを養い、扶養すべき者の数に従って食糧を与えた」(11-12節)。同じ恵みを、私たちも受けています。ヨセフ=キリストだからです。私たちも主イエスに迎えられ、神に養われる最上の人生を恵まれています。そして、悔いなく、満ち足りて、その生涯を終えることが許されています。何と感謝すべきことでしょう