2026年2月22日
主日礼拝
①わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。(1ヨハネ1:3B、4) 晩年のヨハネはこの手紙を、すべての信仰者が永遠の命を得ていることを悟り、その信仰を強めるようにと願って、書いてくれました。人間同士の交わりの原点は家族ですが、信仰者は、お救いくださった父神様、御子イエス様と、そして信仰者同士の、主さまにあっての交わりを持たせていただき、それが永遠に続くことも知らされました。信仰者はなんと天地創造の前から父神様に愛され、聖なる者にしようと選ばれていたのです(エフェソ1:4)。主日礼拝、また主にある他の集会で、皆で読んだ御言葉から、各人が聞き取った味わいをお互いに分かち合い、その御言葉を深く受け止めるようにできるのは、主にある交わりの最大の喜びです。 (北原)
②ヨハネ3章16節:神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。信じる者に与えられる永遠の命は、神との交わりの中に生きる命であり、キリストが聖霊として私の中に生きる命です。その命は救いの確信を与えます。その根拠は自分ではなく、イエス・キリストにあります。なのに確信を自分の中に求めます。しかし、自分を見ると失望しかありません。確信は、キリストを見ることです。なのに信仰が弱いため、キリストから目を離し、目に見える状況に捕らわれてしまいます。そうすると確信が揺らぎます。信仰が薄いとは、嵐や困難な状況を見つめ、神から目を離してしまうことです。その結果、恐れたり、思い煩ってしまいます。そのことに気づかせるため、主は「信仰の薄い者よ」と諭されるのです。 (浜田)
礼拝讃美歌438番:神は独り子を 賜うほどに 世人を愛し給う 神は愛なり、ああ神は愛なり 汚れ果てし我さえ 愛し給う 神は愛なり。
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2026-02-22 北原兄、浜田兄(8:00))
