2026年1月25日
主日礼拝

ローマ6章4節:「わたしたちはキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。わたしたちも新しい命に生きるためなのです」とパウロは言った。お正月によく目にする「新」という漢字は、「立ち木の脇に斤が置かれている状態」。まさに木は切り倒される寸前で、死を意味する象形文字だ。主も十字架で尊い命を捨てて私たちに新しい命を与えてくださった。今、皆で復活祭に向けて♪球根の中に♪という讃美歌を練習中だ。私たちの新しい命は主という球根の中で育まれ、やがて春になれば、蛹の中から新しく羽ばたき出るのだ。「命の終わりは命の初め」と歌う歌詞がとても印象的だ。「初」もお正月に度々使われるが、これも布地を刀で切り裂くことに由来する象形文字だ。主も十字架で御身を切り裂き、私たちに新しい初着を着せてくださった(Ⅰコリ15:53)。「新」も「初」も、聖書的だと思った。             (人見)

Ⅰコリント118節:十字架の言葉は、滅んでいくものにとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。ツィンツェンドルフ(1700-1760)を変え、動かしたのは、キリストの十字架からの語りかけ、「私はあなたのために、十字架にかかった。あなたは私のために何をしたか」でした。18歳の西村久蔵(1898-1953)は毎週金曜日の求道者会に出席していたが、ある晩、T牧師が語る十字架の話を聞いていた時、キリストを十字架につけて殺したのは人類の罪であり、その罪の裁きを贖うために罪の無いイエスが苦しみ、捨てられ、死なれたという何度も聞いた話が急転して、私、即ち、この西村という汚い罪人の犯せる罪や心がイエスを殺したのだ、下手人は私であるという殺人者の実感、しかも、わが救い主、わが恩人を殺した恐ろしい罪を自分の内に感じ、戦慄いたしました。2人の証しを読み、お前はどうなのかと問われた。    (浜田)

礼拝讃美歌133番:十字架の御許に 心迫り 恵みに砕かれ ただひれ伏す。                           

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2026-01-25 人見兄、浜田兄(27:00))