豊作の七年の間、大地は豊かな実りに満ち溢れた。ヨセフはその七年の間、エジプトの国中の食料をできるかぎり集め、その食糧を町の中に蓄えさせたのである。           (創世記41章48節)

奴隷で囚人の身分から、一躍トップの座に就いたヨセフ。信じられない思いと同時に、責任の重大さゆえ感慨にふける間もなく、エジプト全国を巡回したのです。そうして、豊作の7年間が過ぎました。民衆は豊作で余った穀物の処分に困るほど。そこでヨセフは役人を遣わして、余った穀物を安値で買いました。そうして、海辺の砂ほども多くの穀物を蓄え、ついに量りきれなくなったので、量るのをやめた(41章49節)。

飢饉の年がやって来る前に、ヨセフに二人の息子が生まれた。…ヨセフは長男をマナセ(忘れさせる)と名付けて言った。「神が、わたしの苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった。」   (51節)

ヨセフはなぜ、このような名前を長男に付けたのだろうか。辛く悲しい過去を忘れたかったに違いない。
でも疑問に思うのは、なぜ父ヤコブに孫が生まれたことを知らせなかったのだろうか。奴隷に売られてからの数年は、兄たちから受けた酷い仕打ちのショックから立ち直れず、その上、惨めな奴隷状態にあったり、牢獄につながれたりしたので、連絡が取れなかっただろう。しかし、権力の座に上ったこの時にも、連絡を取ってはいない。「お父さん、お元気ですか。私は今…」と報告しようと思えば、幾らでもできたはず。それなのに一度も連絡をしていません。忘れたかったから。だから息子にマナセ(忘れる)と名付けました。ドロドロとした過去をすべて忘れたかったが、自分の力では忘れられない。でも神は、私の苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった、と言った。誰もがヨセフのように忘れたい過去を持っています。そして、その過去に捕らわれます。父に告げると、兄たちのしたことも分かってしまう。そうするより、何も知らせない道を選んだに違いない。ヨセフは次男が与えられた時、エフライム(増やす)と名付け、「神は、悩みの地で、わたしに子孫を増やしてくださった」と言った。過去の怨念を忘れ、執着しないなら、溢れるばかりの祝福が続くことをヨセフは示しています。そして神は、更に大きな出会いを用意していたのです。