2026年1月18日
主日礼拝
①コリント信徒への手紙Ⅱ3章1~18節:栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。 コリント教会でパウロを攻撃していたのは、主にユダヤ教主義者たちでした。彼らに対し、パウロは新しい契約に仕える資格を神から与えられたのだと言います。それは文字(律法)ではなく、霊に仕える資格なのだと。モーセの顔の覆いに例え(出エ34章29~35節)、彼らの心には覆いがかかったままで、その覆いを取り除くのはキリストだと言います。そして、主の霊がおられるところには、罪や死から解放され自由があり、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていくという希望があります。それは主の霊の働きによることだと。御霊の働きがなければ福音に生きることはできないと改めて思わされます。そして、御霊が働くような働きをするには、どうしていけばよいのかを考えていきたいのです。 (小林)
②詩編90編11節:御怒りの力を誰が知り得ましょうか。あなたを畏れ敬うにつれて、あなたの憤りをも知るでしょう。 主の十字架は私の罪の身代わり。だから、十字架の壮絶なお苦しみによって、私の罪の深刻さが分かる。 12節:生涯の日を正しく数えることを教えてください。知恵ある心を得ることができますように。
モーセの祈り。知恵ある心=死を健全に意識する生き方。それが知恵。その反対は愚かさ。イエスさまは「愚かな金持ち」のたとえを話された。ルカ12章15~21節。この金持ちは豊作で得た物を人に分けないで、自分だけのものにする貪欲さ。そして、今夜、死ぬかもしれない、そんなはかない者であることを知ろうとしない。お金と物さえあれば命は保証されると錯覚している。主イエスは、「有り余るほど者を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできない」(15節)と言われた。 (浜田)
礼拝讃美歌116番:聖き魂の 痛み悶えに わが罪深き 思い悟りぬ 贖いの代価 大いなる見れば わが落ちぶれの 程ぞ知らるる。
讃美歌解説 礼拝讃美歌127番『十字架の許ぞ』(柴川)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2026-01-18 小林兄、浜田兄(19:00)、柴川姉(33:00))
