2025年7月13日
主日礼拝
①Ⅰテサロニケ5章18節で「どんなことにも感謝しなさい」とパウロは言った。果たしてそんなことができるのか。パウロの真意はどこにあるのか。それを知るにはまず、今、与えられている恵みの棚卸をしてみること。当たり前だと思っていたことが当たり前でないことに気づくはずだ。ある心理学者がこんな実験をした。幼い兄弟を一人ずつ別の部屋に入れた。兄の部屋には真新しい玩具や美しい絵本を備えたが、弟の部屋は薄暗く、ただ藁を積み上げただけにした。夕方になり、兄は泣きながら出て来た。訊くと玩具も絵本も新しくて、自分が遊んで壊してはいけないと思って、遊べなかったと。一方、弟はいかにも楽しげに、ふんわりした藁の山に寝そべっているとまるで牧場で牛や馬と戯れているようで退屈しなかったよと。世の中には「多くの恵みを与えられているのに、それに鈍感で感謝できない人」と「僅かな恵みに気づき感謝する人」がいるという。
第2は物事を多角的に観ること。パウロには「トゲ」が与えられていたが、それによって自分の弱さ、翻って、神の強さを知らされ、その後の宣教活動の強さになった。
第3は腹八分目で満足すること。京都の龍安寺には「知足の蹲」がある。そこには老子の道徳観と言われる「吾唯足知」と記されている。聖書は道徳の書ではない。信仰の書だ。パウロの信仰と老子の思想とは根本的に違う。主の十字架によって罪から救われたことは何ものにも代えがたい恵みだというのがパウロの真意なのだ。彼は「主を知ることのあまりのすばらしさに、他の一切を損失とみている」と告白した。米国人女性R.F.ミラーも同じ思いで詩を書いた。礼讃216「キリストには代えられません」だ。これは私たちの信仰の大先輩E.F兄がいつも口にされていた「キリスト第一」に通じるものだと教えられた。 (人見)
②このところ体調などが悪かったが、この世の本当の支配者である主にすがり、依り頼めば、私の悩み苦しみを必ず解決してくれると信じた。安心と平安がある。 (百瀬)
礼拝讃美歌216番 ♪キリストには代えられません 世の宝もまた富も この御方が私に 代わって死んだゆえです・・・。
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2025-07-13 人見兄、百瀬兄(37:15)、川添姉(39:20))
