2025年7月6日
主日礼拝
①ルカ17:20-21: ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」
神の国はいつ来るのでしょうか。将来とも言えますが,イエス様はさらに完全な希望を保証しています。「神の国は今すでに実現している」実に、私たちが待望する天国の情景は、今すでに実現しているのです。イエス様と共に住む(マタイ28:20)光の中にいる(Iヨハネ2:8)神の子供となる(Iヨハネ3:2)、贈り物を受ける(ローマ8:32、IIコリント6:10)。今すでに全てを受けていることを知ると、私たちは自分のためではなく,主のために祈るようになります。「主よ、栄光を現してください」このような祈りは、自分が受けた祝福を主にお返しし、周りの人に広める、祭司の祈りです。そして祭司である私たち自身も、完全な希望と平安と祝福のうちに歩めるようになるのです。 (中山Y)
②創世記6章5-6節:主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって、人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
ノアの時代と今は同じで、滅びに瀕しています。後悔しない神が後悔し心を痛めたのは、今も同じです。ノアは巨大な箱舟造りを命じられます。箱舟が巨大なのは、一人でも多くの人を救うためです。一年後、箱舟から出たノアが最初にしたのは、主への礼拝でした。全焼のいけにえから立ち昇る宥めの香りによって、神の側が変わります。そして、「人が心に思うことは、洪水前と何ら変わらず、幼い時から悪い。だから滅ぼさない」と言われた。これは普通ではありません。創世記6章では、悪いから滅すとありました。神を変えたのは宥めの香り=主の十字架(エフェソ5章2節)です。ノアは空にかかった虹を見ますが、その虹の彼方に、主の十字架を見たのです。それがノアの契約です。 (浜田)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2025-07-06 中山兄、浜田兄)
