2025年5月25日
主日礼拝
①Ⅰテサロニケ5章16~18節:いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
感謝=有り難う。その反対言葉=当たり前。朝起きられる、歩ける、食事ができる、それは当たり前でしょうか。心臓は休みなく鼓動し、肺も休みなく働いています。もし、もう疲れたから休みたい、となったらどうでしよう。心肺停止は死に直結します。年中無休で、24時間休みなく働き続けています。でも私たちは当たり前に思って、感謝もしません。それでも黙って私の命を支え続けてくれています。そこに神の姿があると気付きました。神は24時間、まどろみも眠りもせずに私たちを見守っています。それは緊急の時、すぐに救いの手を差し出すためです。それに気づき朝起きたら感謝「ありがとう」を繰り返します。そして、どんなことにも感謝ありがとうを口にし、いつも喜んでいたい。そして、絶えず祈り、このみことばを実践したい。「私の頭はザルで、折角聞いたみことばも全部抜け落ちてしまいます。どうしたら良いのでしょうか」との質問に、「ザルをそのまま水に浸けておけば、抜け落ちませんよ」と。絶えず祈るとは、いつも神の恵みの水に浸かっていることです。そのように生きられたのが、主イエス・キリストです。だから、これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです、と書かれているのです。
ローマ5章6~8節:最大の有り難いこと=有るのが難しい事とは、人のために自分の命を差し出す事です。ヨハネは、「人がその友のために命を捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません」と言いました。友の為であっても出来ないのです。ところが主イエス様は、自分に敵対し、背を向けていた罪人である私を救うために、十字架で死なれたのです。それは驚くべきこと、有り得ない(有り難い)ことです。そこに表された神の愛に、幾度「ありがとう」と感謝しても、足りないほどです。 (浜田)
礼拝讃美歌 476番 ♪救いに与り 日々保たれ かくあることさえ 奇しきかな♪
武蔵野音大の学生によるトロンボーン(サックバット)実演と解説
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2025-05-25 浜田兄、演奏(19:45))