隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷牛、ろばなど隣人のものを、一切欲してはならない。      (出エジプト記20章17節)

 第10の戒めです。人の物が欲しくなるのは、誰にでもあります。幼い弟は兄の持っているおもちゃが欲しいのですが、貸して!と頼んでも断られます。諺「隣の芝生は青く見える」は、他人の持っているものが自分のものよりも良く見える心理を表しています。隣人の所有物に対する羨望や嫉妬を示しています。自分の家も家庭もあるのに、もっと欲しいと求めるのです。十戒は最後に、貪欲を戒めます。「…貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない」(コロサイ3:5)。貪欲がどうして偶像礼拝になるのでしょうか。貪りはどんなに小さなものであっても、私たちを支配します。そして、神の支配を拒否するのです。だからコントロール出来なくなります。神を神として生きることを求める十戒の最後に、この戒めが置かれているのは、そのためです。貪欲は罪を引き起こすのです。

ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領の言葉:貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のこと。つまり、貪欲な人は足ることを知らないから、隣人のものまで欲しがる。それが得られないと、その人を殺したり、その人の物を盗み、更に、その人の妻と姦淫します。発覚すると、嘘や偽証を口にします。まさに十戒の6~9戒を破る原因は、10番目の貪欲なのです。
ムヒカさんは、世界一貧しい大統領と言われますが、一度も貧しいと思ったことはないと言います。毎日おいしい物をいただき、実の子どもはいなくても、国民が子どものような存在。むしろ自分は豊かだと思う、と話されます。悲しい事は、このような大統領が殆どいないことです。

では、貪欲の解決はどこにありますか。律法(十戒)が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう(ローマ7:7)、と書き始めて、貪欲はいけないと分かっていながら、その欲に支配されている自分を見て「ああ、私は何と惨めな人間でしょう」と訴えます。がすぐに「死に定められたこの体から、誰がわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝します」と、解決がイエス・キリストにあることを指し示しています。