2025年3月30日
主日礼拝
①1章1節:士師が世を治めていたころ、暗黒の時代であり、とても堕落した世の中でした。そんな時代であってもルツ記のような麗しい物語と、人々がいたのです。小さな幸せを求めて、生きることに懸命になっているのが、庶民の現実です。それは今も昔も同じです。この書の主人公はルツとナオミです。ナオミと言う名前は快いという意味ですが、彼女はマラ(苦い)と呼んでくださいと言う程、今は不幸な女です。4節:夫に死なれ、2人の息子も死んでしまったからです。ナオミは故郷のベツレヘムに帰る決意をします。季節は大麦の刈り入れの始まる春。ルツ記は暗く悲しい絶望で始まります。2章:落穂拾いの情景を、画家のミレーは描いています。大麦を刈り取って集める時、落ち穂が出ます。それは貧しい人の物(レビ記19章9-10)。ルツが落穂拾いに向かった畑は「たまたま」ボアズの畑だった。偶然のようですが、神の導き、摂理によってルツはボアズの畑に行ったのです。そして、いつも来ているわけではないボアズが、図らずも、同じ畑に来ていたのです。私の時は、御手の中にあります(詩31:15)。ボアズ=主イエス、ルツ=私たち。ボアズはルツに会う前から、彼女のことを既に知っていたのです。私たちと主との関係も同じです。この物語の結末は、喜びに満ちています。ルツはボアズと結婚し、男の子を出産します。ナオミはその子をふところに抱き上げ、オベドと名付けます。1章のナオミとは違い、喜びと幸せに満ちています。同じように、私たちは絶望することがあっても、それで終わることはありません。希望と喜びに変えられます。明日は明るい日と書きます。明日、何が起きるか分からない。でも、そこにイエス様が居てくださるから希望が持てるのです。ベツレヘムにダビデが生まれ、その子孫にイエス・キリストが生まれたのです。驚くべきことに異邦人の女性ルツが救い主の系図に名が記されています。 (浜田)
礼拝讃美歌327番:我の時は 御手にぞある 刺されし御手もて 我を守る。
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2025-03-30 浜田兄)