2025年3月9日
主日礼拝

愛とは一番大事な、決して手放したくないと握り締めているものを、神に献げること。それをしたのが信仰の父アブラハムです。創世記221-3:アブラハムにとって100歳にしてやっと与えられたイサクは、失いたくない独り子です。神はそのイサクを「いけにえとして献げよ」と言われました。アブラハムにとって最大の試練でした。従者に「私と息子はあそこへ行って、礼拝をして、また、戻ってくる」と話しました。礼拝とは、一番大事なものを献げることです。イサクを屠っても、神は息子を返してくれる、と信じました。神の約束は、どんなことがあっても成就するからです。ヘブライ1117-19節:死者の復活をアブラハムが信じたと、あります。驚くべきことですが、必要なものは既に備えられ、主の山に備えありと信じたのです。(浜田)

②Ⅰコリント1212節:体は一つであるように、キリストの場合も同様である。これは同信会をルーツとする二人の姉妹のメッセージから示された聖句。青山学院創立150年記念会報巻頭聖句:詩編126編を大学宗教主任島田姉が解説。学院の源流は明治7年米国メソジスト教会から派遣された女性宣教師(23歳)が開いた生徒7人の小学校。福音と教育の種が労苦と涙で蒔かれ、主が成し遂げられ、若い魂の実(地の塩、世の光として平和をつくる)を刈り入れる喜びを与えられた。益子教会大下伝道師は日基教団関東教区婦人部の礼拝で、新しい創造に基く平和(Ⅱコリント5:17)、キリストにあって人は新しく造られ、一つにされ平等。主の十字架による神との和解が人間関係にも及び、隣人愛の実践と祈りが平和の実現を目指す、と。世の平和は完全ではないが、ヒューマニズムに基く多様性とエキュメニカルとの一致点に気付く。主の体の弱い部分(小さい集会)も必要とされ、用いられることも。             (柴川)

 

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2025-03-09 浜田兄、柴川姉(25:30))