安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、 何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海と そこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。 (出エジプト記20章8~11節)
安息日を「心に留め」「覚えて」と訳されていますが、直訳すれば「思い出しなさい」となります。そして40年後に語られた十戒が、申命記5章12~15節では「安息日を守ってこれを聖別しよ」と、「守って」と命じられています。奴隷の家であったエジプトから解放されたことを心に留め、安息(休息)が与えられたことを「思い出しなさい」と言われたのです。奴隷には休みがなかったからです。ところが40年経った申命記では、休息の日である以上に、罪の奴隷から救われたことを覚えて主を礼拝する日であることに、重点が置かれているのです。ですから、私たちも休息と礼拝の日として、安息日を心に留めたいものです。創世記では、神は6日間にわたって創造の働きをされ、7日目に休まれました。それに倣って、人は7日目に休みました。誰にも休息が必要だからです。
年末になると、翌年のカレンダーが売り出されますが、何年か前に気づいたのですが、以前とは違って月曜日から一週間が始まるカレンダーの多くなったことです。日曜日は完全に週末になっています。しかし、カレンダーは日曜日から始まります。ユダヤ教では、7日目の土曜日を安息日としています。しかし、キリスト教では、週の初めの日を安息と礼拝の日にしています。日曜日から一週間が始まる、と理解するからです。新約聖書を読むと、その変化はイエス・キリストが日曜日に復活されたからです。週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、言われているのです(使徒20章7節)。そして、その日を主の日と呼びます。6日間は私たちの日ですが(本当はすべての日が主のものですが)、週の初めの日は主のための日です。その日は神の安息に与かる休息の日でありつつ、主を礼拝する日です。復活の主と出会い、新しい力を受ける礼拝の日です。主が十字架の死によって私たちを罪から贖い、解放して下さったことを思い出し、その御前に出て、礼拝を献げる日なのです。