2025年3月2日
主日礼拝

ルカ58節:これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。 ペトロなど4人の漁師はイエス様から「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われると、すぐに従ったとある。マタイ4:18~22、マルコ1:16~20から、私には彼らがすぐ従ったことが、とても唐突に思えた。しかしその後、私がルカ5章から導かれ注目したのは、プロの漁師ペトロの体験した奇跡だ。昨晩、徹夜の漁では一匹すら獲れず、今日昼間にイエス様のお言葉に従い漁をしたら、前代未聞の大漁となったことだ。敬虔なユダヤ人ペトロは、畏れ多き神様がすぐ横におられて、罪深きペトロを赦し、招いておられるその愛に圧倒されて、その後の生涯を、何の迷いも無くすべてを捨ててイエス様に従ったことだ。       (北原)

②マタイ24章38~42節:人の子が来る場合も、このようである。一人は連れて行かれ、もう一人は残される。主が再臨された時、大きな違いが出ます。一人は天に引き上げられ、もう一人は地上に残されるからです。どうして違いが出るのでしょうか。自分はどうかと問われるのです。大事な点は信仰の確信があるかどうかで、この確信があれば主イエスが地上に来られても心配がない。ヘブライ111節:信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。マルタとマリアの例を、ルカ10章とヨハネ11章から読みます。二人とも信仰の確信があったことが分かります。そのように私たちの先輩の兄姉方は、天国・主の御許へ必ず行けるとの確信がありました。だから、信仰がブレないし、この世のことに惑わされて、信仰が途切れたりしません。いかに確信が大事であるかが分かります。それを二人の姉妹の信仰から学んだことを、お話します。         (百瀬)

 

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2025-03-02 北原兄、百瀬兄(20:30))