七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。 (出エジプト20章10節)
第4戒を続けますが、家族で安息日を守りなさい、と命じられています。家族として男女の奴隷だけでなく、家畜(牛やろば)もその一員にあげられています。それだけでなく、町の門に住まいを与えられた寄留者=経済的に破綻した人や難民、をも自分の家族の一員として受け入れなさい、と言われています。それがイスラエルの社会でした。農耕などで働かせる牛やろばにも安息を与えます。そして、皆で集まって神を礼拝するのです。古き良き時代には、奴隷も家族の一員として、教会の礼拝に出席しました。勿論、息子や娘も一緒です。仕事から解放されて、神の家族であることを確認したのです。次の世代の子や孫と一緒に、主の日礼拝を献げられるのは、何と感謝なことでしょう。
聖書の民は安息日を、厳格に守ってきました。一切の労働(仕事)を止め、祈りと聖書を読むことに時間を捧げました。スマホも24時間、中止します。そして、冒頭の聖句にあるように血族の家族だけでなく、奴隷や難民も広く家族と考えました。仕事を休むので収益は減ります。しかし、休息と家族団欒の交わりが与えられます。預言者イザヤは「安息日に歩き回ることをやめ、わたしの聖なる日に(自分の)したいことをするのをやめ、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日と呼び、これを尊び、旅をするのをやめ したいことをし続けず、取り引きを慎むなら、そのとき、あなたは主を喜びとする」(58章13-14節)と命じています。自分のしたいことや仕事は6日間の平日に行い、主の日には主なる神の願うことを行います。主の願いは、病人の癒しと礼拝です。教会に集まるのは、そこにいる兄弟姉妹が家族となるからです。でも反論もあることでしょう。日曜日に働かねばならない職業もあるからです。五十嵐健治兄が三越を辞めて、白洋舎を始めたのは、日曜礼拝を第一にしたかったからです。主日には、会社そのものの操業を停止しました。儲けを考えると停止できません。しかしどんなに経営が苦しくても、その原則は守り通しました。それが事業の発展に繋がりました。安息日の規定は、私たちの選択に委ねられていますが、神第一、それを原則にしたいものです。