2025年3月16日
主日礼拝
①使徒言行録1章8節:あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。
聖霊によって受ける力とは、真理を悟らせる力です。(ヨハネ16章13節)使徒たちは、聖霊が与えられることによって本当の使徒になりました。わたしの証人となるとは、福音を地上のすべての民族に証しすることですが、それをどう証しするのか、パウロの宣教を見るととても特徴的です。ユダヤ人には恵みを強調し、異邦人には福音全体と異なる伝え方をしたようです。(14章2 節、7節等)そして、17章以降は、論じ合って(ディアレゴマイ)が10回ほど出てきます。パウロは、相手の文化的背景等を尊重しながら、対話的に伝えたのだと思います。福音を伝えるには、相手に寄り添う気持ちが大切なことをパウロから学ぶことが出来るのです。 (小林)
②詩編105編17節:あらかじめ一人の人を遣わしておかれた。奴隷として売られたヨセフ。
兄たちによって奴隷として売られた17歳のヨセフは絶望し、そのまま闇に消えたかも知れません。そんな彼を支え救ったのは、共におられた主でした。その主によって過去の出来事を、全く別のものとして受け止めることができたのです。過去は変えられないが、その受け止め方は変えられる。それを示すのが、22年後に兄たちと再会した時の、ヨセフの言葉です。「私はあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、命を救うために、神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく神です。」(創世記45章4~8節)。人間の罪と悪を、神は逆手に取って、多くの人の救いに変えられます。それを、ヨセフ物語は示しています。絶望を希望に変えたのは、共におられたキリストです。 (浜田)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2025-03-16 小林兄、浜田兄、小山兄(20:00、33:30))