2025年2月16日
主日礼拝

マルコ834節:わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
マルコ福音書は、弟子作りという視点で読むことができます。旅の途中の8,9,10章で、イエス様は、同じパターンで繰り返し三度、弟子たちに教えられています。そのパターンは、ご自身の十字架と三日後の復活を予告されますが、弟子たちはまるで理解出来ず、その後、弟子の条件、弟子のあり方を語られます(8章31~38節、9章30 ~37節、10章32~45節)。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。(10章43,44節)イエス様は、このように教会だけではなく、すべての人の僕になりなさい、と教えています。しかし、それは現実の世界ではとても難しいことです。それでも、クリスチャンとして、それをどう生きていくのか、その答えを求めていきたいのです。         (小林)

Ⅰコリント13章13節:信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
3つのもの:信仰は信頼すること。神への信頼と共に、人としてお互いに信頼し合うことです。実話:悪の道に誘われて、繰り返し夜遊びに出て行く息子に、父親は「それでも、お前を信じている」と言いました。信頼する、と言ったのです。その言葉が息子を罪から守りました。希望は人を生かします。極限状態のアウシュビッツ収容所でフランクルが見たのは、希望を持った人だけが生き残ったことです。愛を表現するのに、両手で抱きしめる動作(放蕩息子の父親)。もう一つは心の奥底から自分にとって一番大切なものをあなたに差し上げます、と両手を差し出すこと。一番大切なものって何でしょうか。命です。神はご自身の独り子イエス・キリストを、私たちの罪の代価として十字架に差し出されました。その愛はいつまでも残る。     (浜田)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2025-2-16 小林兄、浜田兄、新井姉(18:00,32:00))