2025年2月2日
主日礼拝

黙示録1章9節ヨハネはパトモス島に流刑されます。この時96歳。当時は、キリスト教迫害の時代。使徒の代表ペトロをローマから逃がそうとします。ペトロがローマを後にして進むと、誰かが朝の光の中をこちらに向かって来る。ペトロはその方を見つめ、「主よ、いずこへ」と尋ねると、「お前が私の羊を見捨てるなら、私がローマに行ってもう一度十字架にかかろう」と言われた。ペトロはローマへ引き返し、逮捕され殉教した。
10節ある主の日のこと、ヨハネは主の御声を聞きます。
孤独なヨハネを、主は見捨てず訪ねます。私たちも主の日に礼拝します。その主の日に、ヨハネは主の御声を聞いたのです。そのように、主の日礼拝は、そこで主と出会い、聖霊に満たされる時でありたいものです。島流しにされても殉教を免れ、誰よりも長く生かされたヨハネは、最晩年にヨハネ福音書を書き、最後に、黙示録を書き残しました。心して読みたい。     (浜田)

②ヨハネ21章22節:あなたは、わたしに従いなさい。 復活の主は愛する弟子ペトロとヨハネの務めと最後に係わる御言葉の中で、ペトロにこう命じられた。また、すべての民をわたしの弟子にしなさい、と宣教命令を残され昇天された。主が弟子の覚悟と条件に言及されているマタイ8・18~22、ルカ14:25~27で、この世のメシヤ王国を待望する群衆や律法学者達に、枕する所もない主の道にすべてを捨てて自分の十字架を負って従う者でなけれはならない、と言われている。しかし、主は弱く貧しい者を憐れみ、悔い改める物を赦す方。富や権力を持って高ぶる者、偽善者に厳しい主の御心を示されて、小さく弱い弟子であっても主が定められる道を、執り成しを祈りつつ従うキリスト者の安らぎを与えられた。多様性の時代(性別、国籍、障碍の有無、価値観の違いを超えて尊重される)に生きるキリスト者として、主の愛の対応を教えられ感謝しました。          (柴川)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2025-2-2 浜田兄、柴川姉(25:00))