2025年2月9日
主日礼拝
①ルカ24章44節:イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 復活の主が弟子たちの前に現れ、ご自身について旧約聖書全体に書かれている事柄は、以前話しておいた通り、必ずすべて実現すると言われた。五旬祭の日に、弟子たち120人ほどの上に聖霊が降り、彼らは主が言っておられたことを初めて理解し、力を得て主を証しするために立ち上がった。ところで私たち信者は罪を赦され、救われて喜んでいる。私も、聖書によりもっと深く主の素晴らしさを知り、主を証しする者となりたい、と考えた。ところで、私はある集会で聖書の御言葉を聞いている内に、自分の罪深さ、傲慢さを思い知らされて身震いし、主に感謝した。全て簡単ではない。 (北原)
②出エジプト記1章22~2章10節:最近ハラハラドキドキして読んだ箇所です。レビ人の父母は生後3ヶ月のモーセを籠に入れて、ナイル河畔の葦の茂みの水の上に浮かべました。その子の姉はどうなるか心配で、籠を見守っていました。すると、ファラオの王女が水浴びに下りてきました。そして、葦の茂みの間に籠を見つけ、それを開けると、ヘブライ人の男の赤ん坊が泣いていました。不憫に思った王女は父王の命令に背いて、わが子として育てようとします。その時、姉が進み出て、乳母として実母を呼んできます。モーセを再び抱くことが出来た母の喜び。何故、このようになったのか、5つの何故が出ます。それに対する解答があります。それは、私たちが持つ信仰の目によってのみ見えて来る「神様のご計画」です。寸分の狂いもない神様のご計画です。このことは生い立ちだけに限らず、その後、モーセが成人してからの人生に於いても言えるのです。 (百瀬)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2025-2-9 北原兄、百瀬兄(23:00))