2025年1月26日
主日礼拝

マルコ115節:「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
主の公生涯での第一声だ。 預言者たちが告げた救いのときが今、到来した。世の終わりが差し迫っている。今のうちに自分の罪を悔い改め、十字架による救いを信じなさいと主は宣言されたのだ。お正月に近くの神社に行った。勿論、初詣ではない。歌のボラに使う写真を撮りに行ったのだ。寒空の下、参詣者たちが長蛇の列をつくっていた。お祓いを受ければ、この一年、無事に暮らせると信じているのか。この中に自分の罪を悔い改めている人がどれだけいるだろうと、悔い改めずして漠然と信じることの虚しさを感じた。私たちは自分の罪を悔い改めて受洗した。でも、なお、主に背き、人を傷つけている。だから、日々、悔い改める者でありたいし、悔い改める者を赦せる者でもありたいと思った。           (人見)

②黙示録1章8節:私はアルファであり、オメガである。  ギリシャ語のアルファ=最初、創始者。オメガ=最後、完成者。ヘブライ12章2節:信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエス様を黙示録は「証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者」であると記し、①私たちを愛される方②罪から解放して下さった方③私たちを王国の民として下さった方④祭司として下さった方、と言い表しています。別の表現として、今おられ(現在、かつておられ(過去、やがて来られる方(未来から来られる)なのです。神は永遠の世界におられるので、過去も未来もなく「永遠の今」に生きておられます。だから、私たちも今を生きる者でありたい。過去を歎いたり郷愁したりせず、また、明日を心配しないで、今を生きたい。そして、「生きてヨハネ黙示録の成就を見るかもしれない」との思いで、今を生きたい。     (浜田) 

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2025-1-26 人見兄、浜田兄(22:00))