あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。 (出エジプト記 20章4~6節=第2戒)
神に代わるものを神とする時、それが偶像になります。第1戒は、真の神に代わる神としての偶像を持つことの禁止です。そして、第2戒は、その偶像を形にして造ることへの禁止です。また偶像を拝んだり、それに仕えることの禁止です。偶像崇拝への警告ですが、なぜ神を形にしてはいけないのでしょうか。それは神が形を持たない、目には見えない霊だからです。イエスは、「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」(ヨハネ4章24節)と言われています。モーセは「あなたたちは自らよく注意しなさい。主がホレブで火の中から語られた日、あなたたちは何の形も見なかった。堕落して自分のためにいかなる形の像も造ってはならない」と警告しています(申命記5章15,16節)。
モーセが第2戒をホレブ山で神から授けられていたその時、麓では民が金の子牛の像を造って、礼拝していたのです(出エジプト32章)。何と言うことでしょうか。金の子牛=お金と言い換えられます。この理解をアシモフの本から教えられました。また、そこで行われていたのが、立っては戯れる=性的乱交でした。このことが示しているのは偶像の本質です。お金とセックスと軍事力は偶像になるのです。いや、既になっているのです。お金が神に代わって、人を支配しているからです。武器を用いる軍事力こそが身を守ってくれる、と考えるのです。そのため、どの国も自国を守るために軍事費を増額しています。それらが神に代わる偶像になっている、と気づかされます。以上のことから、第2戒は「真の礼拝とは何か」と問いかけています。子たちよ、偶像を避けなさい(Ⅰヨハネ5章21節)と、ヨハネは警告しています。目に見えない偶像が、いつの間にか神の座を占めている現実があるからです。それから守られるには、真の神を礼拝することです。