2025年1月19日
主日礼拝

ローマ書831節:もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。 ローマ書は、ガラテヤ書、コリントⅠ・Ⅱと同時期に書かれたパウロの手紙です。パウロは、神があらかじめ定めらた者たちを召し出し、その者たちを義とし、栄光をお与えになったのだから(8章30節)、だれも敵対できない。わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めている(8章37節)。そして、それを確信しています(8章38節)。ここで「確信する」は、ギリシア語・英語では受動態が使われていますので、「確信が与えられている。」という意味です。もし今、困難の中にあるなら「全能の神が私たちの味方なのだから、だれも敵対することはできないという、この約束通りに私を守ってください」と、何度も祈りましょう。祈ることで必ず私たちにも確信が与えられます。        (小林)

②創世記3410節:「あなたは、どこにいるのか」。 これは罪を犯したアダムとエバに、神が語りかけた言葉です。場所ではなく、神との交わりが断絶した関係を歎く声です。そよ風の吹く最高の時間に、神は2人と交わり、語り合うのが常でした。ところが今日は、いつもと違って2人は主の御顔を避け、木の間に隠れたのです。そこで「どこにいるのか」と問いました。これは全ての人に向けての問いかけです。神は失われた者に呼びかけ、本来あるべき関係に修復したいのです。この語りかけに対して、「神様、私はあなたと共に、あなたの目の前にいます」と返答したい。もっと厳密に言えば、「主よ、私はあなたの十字架の許にひれ伏しています」と応えます。罪を犯した私が救われるのは、十字架以外にないからです。礼拝讃美歌127番の歌詞を読みます。  (浜田)

 礼拝讃美歌127番:十字架の陰に我は立ちて 御顔の光を絶えず求めん この世のもの皆消ゆる時も 奇しく輝くその光を♫  

(番外)人見兄による礼拝賛美歌386番の解説

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2025-1-19 小林兄、浜田兄、人見兄姉(18:00,36:00))