主は契約を告げ示し、あなたたちが行うべきことを命じられた。それが十戒である。 (申命記4章13節)
これから十戒を読んでゆきます。上記の聖句に十戒と言われています。直訳では「十の言葉」です。十戒はシナイ山で神からモーセに与えられたもので、民が守るべき戒めです。それは出エジプト20章1~17節にあります。それは、今から3000年以上も昔イスラエルの民に命じられたものです。10の内8つまでが、~してはならないと命じられた禁止事項です。~しなさい、は2つだけです。そもそも禁止する戒めが何故命じられているのでしょうか。先ずその事を考えます。
主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると死んでしまう。」 (創世記2章15節)
本当の自由は規律の中にあります。何をしても良いなら放縦やわがままになります。ですから、エデンの園にも、規律というルールがありました。それは何が善か悪かを決める権限は、神にだけあるということです。それを破ったら、死ぬと警告されています。死とは、交流が全くできなくなる断絶を意味します。神は人と生きた交流を求めておられるのです。その他の例として、どんなスポーツにもルールがあります。それを破ったら罰を受け、試合から退場させられます。神が戒めを与えるのは、死なせたり退場させたりするためではありません。それとは反対に、生かすためにあります。十戒は遠い昔の戒めですが、今も必要な戒めです。人間がついやってしまいがちだけど、してはいけないことが示されているのです。それと十戒の前文が示しているのは、これを守ったら救われる、と言うことではありません。そうではなく、あなたを罪から救った神だから戒めを与える、のです。その前文とは、わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。(出エジプト20章2節)、です。
エジプトが象徴する罪の奴隷状態にあったイスラエルの民を救うため、過越しの小羊の血が門柱に塗られたのです。それによって救われたのです。これは、イエス・キリストの十字架の血によって救われたキリスト者を示しています。ですから、救われた者に与えられた実際訓(生き方)としての十戒を、これから読んでゆきます。