2025年1月12日
主日礼拝
①ルカ2章19節:しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 神から恵みをいただき、神の子をみごもり、育てた母マリアの生涯を、聖書の記述をたどりながら考えました。田舎育ちの素直なマリア。実直なヨセフの妻で、イエス様を筆頭に何人もの弟や妹を産み、早世した夫に代わり子供たちを育てました。ナザレで天使が、ベツレヘムで羊飼いたちが、エルサレムの神殿でシメオンがそれぞれ語ったこと、少年イエス様の言動、成人後伝道されたイエス様の評判などを、母はすべて心に納め思い巡らしていました。建徳後に、私が今これを書きながら思ったのは、母マリアは、イエス様の十字架の死、ご復活、ご昇天の後にお約束の聖霊降臨を待ち望み、皆と祈っていて、五旬祭の日突然聖霊に満たされ、初めて救い主イエス様を理解したことです。私も聖霊のご降臨により、喜びに満たされるのを待ち望んでいます。 (北原)
②イザヤ57章18、19節:わたしは彼の道を見た。わたしは彼をいやし、休ませ、慰めをもって彼を回復させよう。 神は背信の道を歩み続けるイスラエルの民を滅ぼさず、癒そうと約束される(53:5)。神が造られた人を愛し、霊の命を生かすために。遠くにいる異邦人にも近くにいるユダヤ人にも、信仰と賛美の実(唇の実り:19節)を与えようと。この約束はイエス・キリストによって実現。「いろいろな病気に苦しむ者を…イエスはその一人一人に手を置いていやされた」(ルカ4:40)。マタイはイザヤによる預言が実現するためと記す。主は同時に魂の救いを第一とされ、神の国の福音と教えを、権威と恵みに満ちた者としてガリラヤ中を巡り語られた。ユダヤ全土、シリヤ、地中海沿岸の地に広まり、群衆が集まり従った。しかし主は、民衆のメシア預言と異なる十字架への道を歩まれた。私たち全ての人の罪を負われて、赦しと魂の安らぎ、回復を与えるために。マタイ11章28~30節。 (柴川)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2025-1-12 北原兄、柴川姉(24:00))