2024年12月29日
主日礼拝

マタイ21318節:ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り…。主ご降誕の後日談だ。残忍で猜疑心の強いヘロデは救い主の誕生を怖がり、二歳以下の男児の皆殺しを企てた。ご降誕の喜びは暗転した。闇は今も世界中でその力を誇示している。たとえ暦が変わっても変わらない。では、私たちは闇にどう向き合えばいいのか。二つのお手本を見つけた。第一は、すべてを神にゆだねて祈られた主だ。主は洗礼者ヨハネが捕らえられた時も、ガリラヤに退かれた。ご自身が捕らえられた際も自ら戦おうとはせず、神の怒りに任せられた。第二は主の御言葉に愚直に従ったヨセフだ。ヨセフはエジプトへ逃げろと主の使いから夢で告げられると、その夜のうちに、真っ暗闇の砂漠をエジプトに向かった松明が、足許を照らしていたことだろう。松明は御言葉だ。でも、闇が滅びる日は確実に来る。それは主のご再臨の日だ。主の栄光が全地に輝き、闇は滅びるのだ。その希望を胸に新年を迎えたい。      (人見)

②ヤコブ3章13~17節:相反する2つの知恵。1つは地上(この世)のもので悪魔から出た知恵。他は、上(神)から出た知恵。この2つを識別する必要があります。マタイ16章21~23節:十字架の死を予告した主イエスに、ペトロは「そんなことがあってはなりません」と諫めます。喜ばれると思いきや主はペトロに「サタン、引き下がれ」と叱責されます。サタン=悪魔。人間的な思いからペトロは、十字架の死を否定しますが、それは主の使命を邪魔する悪魔から出た知恵です。相反する2つの知恵についてはパウロもⅠコリント2章6~8節に記し、私は十字架のキリスト以外、何も知るまいと述べています。私たちの内面にも2つの知恵が働きかけます。正しく識別することが重要です。今年最後の礼拝に於いて、その事に留意し、主の十字架を見上げたい。   (浜田)

 礼拝讃美歌 355番 ♪わが罪ゆえ君は打たれ わが不義ゆえ主は砕かる 十字架の悩みはわがためなり いかなることもて 我応えし♬

 

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2024-12-29 人見兄、浜田兄(24:40))