2024年11月10日
主日礼拝

創世記23章2節:サラは、カナン地方の…ヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。
先月の聖書講習会では、キリスト同信会初期の足跡を辿る日程で同信会墓地を訪ね、先輩兄姉の信仰を偲びましたが、改めて埋葬し記念する意味を思わされました。上記聖句には、信仰の父と言われる族長アブラハムが,128歳で死んだ妻サラのために泣き悲しむ姿が示されています。イスラエルの名を与えられたヤコブも、エジプトの宰相になったヨセフも愛する子と父の死を悼み、幾日も泣き続けています。私たちも身近な愛する者の死、地上での最期の別れに人間として哀悼の感情や喪失感を抑えることはできません。信仰があっても悲しみの涙が溢れます。しかし、涙が涸れたらアブラハムのように立ち上がり、前に進むことができます。寄留者旅人であった彼は、先ず妻を葬る墓地を買うために、その地に住むヘト人たちと目当ての土地の所有者と交渉したところ、思いがけない好意を示され「あなたはわたしどもの中で神に選ばれた方」「あの畑(土地と洞穴)は差し上げます」(5,11節)と答えています。寄留の地でアブラハムが尊敬され、彼の行いが主なる神を証ししていたことが分かります。主イエスは、あなたがたの立派な行いを見て、人々が天の父をあがめるようになる、と言われました(マタイ5:16)。私たちも天国を目指すこの世の旅人です。私は、今までの人生で主を証しする行いをして来たかを問われ、反省させられました。アブラハムはその好意に甘えず、マクペラの洞穴がある土地を時価(銀400シェケル)で譲り受けました。後の世代になっても問題が起きないようにとの洞察力が働いていたと言われます。ヨセフを知らない王の時代に、イスラエル民族は奴隷にされたように、人の心は変わります。こうしてサラは丁重に葬られました。生まれ故郷を出た旅人として地上では仮住まいの者であると言い表したアブラハムは、「更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していた…」(ヘブライ11:16)故に、お墓を天の故郷へ至る通過点、約束された天の御国と繋がっていることを確認する意味があります。      (柴川)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2024-11-10 柴川姉)