歎異抄第12条には、信仰と学問の関係が記されています。そして、学問以上の信仰が語られています。この原理はキリスト教に於いても然りです。主イエスも、「ただ信じなさい。そうすれば救われる」と言われました(ルカ8章50節)。理屈以上の信仰が、「ただ信じなさい」の「ただ」に示されています。では、信仰に学問は要らないのか。みことばを語る者には、学問は不要なのでしょうか。そんなことはありません。
中世ヨーロッパにおいて、神学はすべての学問の頂点に置かれた冠でした。神学のために他のすべての学問はある、と考えられていたからです。神の言葉を説き明かすには、それだけの素養が求められたのです。神学は学問である以上、理性と知性が重んじられ、神学を教える神学校の多くが、大学卒業程度の学力を基礎にしています。ところが歎異抄は言います。「必ずしも、学者が偉いのではない。字の読めない一文不通であっても、堅く信じている人にこそ重きを置くべきだ」と。それなのに「信仰を求めるのに信の人の門を叩かずに、学者の門を叩いている」と明治の仏教界の現実を暁烏敏は嘆きました。キリスト教界に於いても同じことが言えるのではないでしょうか。
日本の教会の礼拝説教は、その内容が難しいと言われます。ある程度の教育レベルにいないと話が分からないとも。それでは、一般庶民の中に浸透することはできません。主イエスのお話は分かり易く、生活に即した内容でありつつ、深い真理が語られていました。だから、多くの人々を惹きつけたのです。それに対して、ファリサイ派の律法学者たちは違っていました。それで主イエスは彼らを批判しました。「あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ」(ルカ11章52節)。天国の門を開け閉めするのが、知識の鍵です。それを自分だけのものにしていたのです。律法の専門家とは聖書を書き写し、人々に教える先生でした。高等教育を受け、原典に通じ、高い地位にありました。そのため、学問を信仰の上に置きました。そのため一番重要な点から外れ、些細な律法の一点一画に固執しました。「ものの見えない案内人、ぶよ一匹さえも濾して除くが、らくだは飲み込んでいる」(マタイ23章24節)と、主イエスから批判されるようなことをしていたのです。でも、決して他人事とは言えません。