2024年9月8日
主日礼拝

マタイ18章21,22節:7回どころか7の77倍までも赦しなさい。
7×7=490回まで赦せなのか。このことについて主は譬話をされた(23-34節)。王は神、家来は人間で1万タラントン(30億円)もの借金があったのに、王は憐れみのゆえに全部帳消しにした。ところが彼は、仲間に同じようにはしなかった。私たちには人を赦す面(能動態)と赦される面(受動態)の2つがあり、自分が積極的に動く前者はよく覚えているが、受け身の後者は忘れ易い。借金の額が30億とは有り得ない額だが、神に対する人の罪のこと。それを全部赦されたのだから、何回までなら赦すべきかという小さなものではなく、また、これは赦すがあれは赦さないというものでもない。すべてを赦すべきだと主は教えられた。そして最後の35節で、あなたがたの1人1人が心から兄弟を赦さないなら、天の父も赦さない、と厳しく言われた。これを私は体験した。 (百瀬)

②マルコ6章7節:そして、12人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことをされた。
イエス・キリストと弟子たちの関係はどういったものだったのでしょうか?また、イエスは彼らをどのように訓練していたのでしょうか。イエスは皆から「ラボニ」と呼ばれ、これは「私の先生」を意味し、ユダヤ教の教師「ラビ」よりも敬意と愛情を込めた呼び名でした。ラビの主な役割は律法の解説と日常生活の指導で、弟子たちはイエスをラビとして敬いました。イエスは弟子たちを二人ずつ派遣し、何も持たずに旅をさせ、悪霊を追い出し病を癒す力を授けました。この経験は弟子たちにとって信仰を深め、悔い改めを促す重要な機会となりました。また、弟子たちはイエスの十字架刑により信仰が試され、その後の復活と聖霊降臨によって信仰を確信に変えていきます。現代の私たちは聖書の時代と同じ体験はできませんが、イエスの愛と信仰の力は今も奇跡を可能にします。愛があるところに奇跡が起こる可能性があり、私たちの日常生活でも神の愛が示されることを願っています。 (小山)

     先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2024-9-8 百瀬兄、小山兄(26:00))