2024年9月1日
主日礼拝

ルカ2436節:こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
主イエス様は弟子たちに、主のご復活後の「霊の体」(1コリント15:44)を現されました。主は弟子たちに、主のご受難、三日目の復活、主を信じて悔い改める者は罪を赦され救われること、また、彼らが聖霊によって力を与えられ、これらのことの証人として働くようになることを説明なさいました。弟子たちは主のお話を聞いて、主が生前に何度も話されたこれらのことを、初めてはっきりと理解したのでした。もし復活の主が弟子たちの前に現れず、またこれらのことを話してくださらなかったなら、彼らは、主の死者の中からの復活を、到底信じられなかっただろうと思います、アテネでパウロから話を聞いたある者たちと同様に(使徒17:32)。弟子たちが父神様に感謝し書き残してくれたこれらの事柄を、いま聖書から知らされている私は、父神様の熱い細かいご配慮に感激しています。  (北原)

②ルカ157節:悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。
悔い改める必要のない人など一人もいない。迷った一匹の羊は「罪人」のことで、ファリサイ人は、自分たちはそうした罪人ではないので悔い改める必要を覚えませんでした。ルカ18章9-14に、自分は正しい人間だとうぬぼれて、徴税人を蔑んでいたファリサイ人が登場します。彼らは自分とは無関係とは決して言えません。自分はキリスト者だから、神を知らないこの世の人とは違う。聖書を読み、礼拝に行き、献金もしていると。しかし、キリストの光に照らされると「神様、罪人のわたしを憐れんでください」というほかないのが私たちです。本当の自分の姿に気づくと落胆しますが、救い主が手を差し伸べておられると知りたい。命に代えて救おうとされる羊飼いを見上げたい。    (浜田)

 礼拝讃美歌 84番 ♫いのちに代えてぞ 羊を救う 愛と憐みは 歌にも余る。

 

    先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2024-9-1 北原兄、浜田兄(18:15))