2024年8月4日
主日礼拝

マタイ13章11~13節:あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていない…

13章には有名な7つの天(神)の国のたとえが語られている。この時、主は何故、人々に神の国(神の支配)の秘密を分からなくするためにたとえで話されたのか。たとえの意味は、ギリシャ語では分からないことを分かり易くする、アラム語は反対に、隠された言葉だという。主は後者を意味するイザヤの預言6章9~10節が実現し、霊的な心の目と耳を閉ざして理解せず、主を拒み、悔い改めない人たちには、神の秘められた御計画(エフェソ3章4,9節)を悟らせないようにされたと言われた。旧約の預言者たちが切望した救い主により実現される神の国、即ち、神の義と愛の御支配を世に現わされたキリストを見て、御言葉を聞いて信じた弟子たちと、今の私たちも同じ祝福を受けている幸いを心に刻み、感謝。Ⅰペトロ1章8,9節。       (柴川)

ヨナ4章10,11節:すると主はこう言われた。「お前は自分で労することも育てることもなく、…このとうごまの木を惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、12万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。ヨナ書はこの言葉で終わっています。ヨナにとっての神は、イスラエルだけを救う神でした。本当はそうではなく、万国の民を愛する神であることを、ヨナに示しています。それは選民としての特権意識を否定していて、当時のユダヤ人には驚くべき内容でしたそれがヨナ書です。右も左もわきまえぬ人間とあります。賢い人ではありません。そんな人々が住む敵国の都ニネベをさえ惜しまれる神。敵をも愛し救う神は、すべての人を救おうとされる神です。その神は、ご自分の御子イエス・キリストを惜しむことなく十字架に架けられた御方。それを示す聖句を読みます。
ロマ8章32節:わたしたちすべてのために、この御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜わらないはずがありましょうか。  (浜田)

 礼拝讃美歌 438(神は独り子を賜う程に 世人を愛し給う神は愛なり・・・)

 

 先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2024-8-4 柴川姉、浜田兄(25:40))