2024年7月28日
主日礼拝

Ⅰコリント13章13節:信仰と、希望と、愛、この3つは、いつまでも残る。この希望について、アブラハムを例に挙げて述べます。彼は神から子どもが与えられると約束されます。75歳の時です。しかし、何年経っても、約束された子どもは与えられません。そのような、希望するすべもなかったときに、彼はなおも望みを抱いて信じることができました。神の愛を信じていたからです(ローマ418節)。私たちも信仰によって救われ、今の恵みに信仰によって導き入れられました。それでも、苦難に遭いますし、患難が与えられます。辛いことも経験します。しかし、それによって忍耐の徳が養われます。苦難は忍耐を、忍耐は錬達を、錬達は希望を生むということを。希望は私たちを欺くことがありません。この希望は失望に終わることがありません。それは、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が心に注がれているからです(ローマ5章3~5節)。裏切られることのない希望が与えられているのです。信仰の父アブラハムであっても迷うこともありましたが、最後まで神を信頼しました。

米国のエド・ドブソン牧師はALS(筋萎縮性硬化症)と診断されました。多くの人が癒しを祈りましたが、癒されませんでした。彼は病の進行によって、全身の筋肉が萎縮し続けました。だから、「明日のことを心配しないでいることは、ほぼ不可能だ」と言いました。そこでエドは、目の付く所に、次のみことばを貼り付けました。「主ご自身が『私は決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない』と言われたからです。ですから、確信を持って言います。「主は私の助け手、私は恐れない」と。彼は不安に襲われると、このみことばを繰り返しました。神の愛がこんな自分にも向けられていると信じるからです。そこに確固たる希望があります。だから苦難や患難に遭っても、決して失望することがありません。  (浜田)

 礼拝讃美歌 304番♪わが身の望みは ただ主にかかれり 主イエスのほかには依るべき方なし♫

 先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2024-7-28 浜田兄)