、私の生まれ
私は先祖代々仏教徒の家に生れました。浄土真宗の家で、仏壇には毎朝、炊き立てのご飯を供えていました。夜になると、父が仏壇の前に座り、正信偈というお経を唱えました。私たち子どもは父の後ろに座わるのが常でした。正信偈(正しい信仰の歌の意味)は親鸞が信徒のために記したお経(全文漢字)です。父の背中を見ながら、父が唱える言葉をいつしか覚えたものです。その始まりは、帰命無量寿如来(如来から賜る無量寿を信じ、如来に帰依します)で、無量寿=寿命無量→永遠の命、南無不可思議光(如来は真に不可思議な光であることを信じます)で、不可思議な光であり真の光である如来を信じます、と始まるお経なのです。勿論、子どもの私には意味が分かるはずもなく足がしびれて「早く終わらないかな」とばかり思っていました。しかし、今読むと、永遠の命であり命の光(ヨハネ1章4節)であり、真の光であるイエス・キリストを指していることに気づくのです。そして、聖書も教会も知らなかった私が、キリストを信じるようにされたことは不思議というか、神の恵みと言うほかありません。

父が亡くなった後、母を教会に誘うと素直に応じてくれました。母は、近くの教会に通っていましたが、ある日、「仏教もキリスト教も、教えるところは同じやね。それならお釈迦さんや親鸞さんの教えの方が馴染める」と言いました。そして、教会には行かなくなりました。母の言葉をどう受け取ったら良いのか、考えさせられました。仏教もキリスト教も詰まるところは同じなのか、それとも決定的に違うところがあるのか。それを解く鍵が歎異抄にある、と考えています。

2、親鸞と歎異抄
親鸞(1173~1262年)が活躍したのは鎌倉時代で、今から900年前になります。親鸞は浄土宗を開いた法然の弟子でしたが、そこから浄土真宗という教えを説きました。その教えは、多くの民衆に信じられました。ところが、それが微妙に違うものへと変えられ、説かれ始めたのです。それを知った弟子の唯円は、異なった教えを歎いて『歎異抄』と題した書を書きました。内容は2つに分けられ、前半に親鸞の説いた教えが書かれ、後半にそれに反した教えを論駁する唯円の言葉が書かれています。ガラテヤ書がパウロの歎異抄と言われるのは、福音の本質が変質させられて説かれていたからです。パウロはそれを歎き、ガラテヤ書を執筆したからです。