2024年7月21日
主日礼拝
《建徳要旨》
①マルコ9章29節:この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ。汚れた霊を追い出すことができなかった弟子たちに、イエスはこう言い、並行箇所であるマタイ17章20節では、「信仰が薄いからだ」と言っています。弟子たちは権威で追い出そうとしましたが、本当は信仰を伴った祈りが必要だったのです。祈りには、信仰を引き出す力があります。『夕あり朝あり(三浦綾子)』の中で、五十嵐健治兄は「祈るということと、思うということは、別ですな。」そう語っています。私の場合をご紹介しますと母教会はセル教会ですので、複数人のセルメンバーで祈ります。自分一人の祈りも大切ですが、兄弟姉妹の前で本当の自分をさらけ出せたぶん、恵みが与えられます。次に、絶えず祈る、答えが得られるまで、祈り続けることです。そして、モーセのとりなしの祈り(出エジプト32章11-14節)のように、大胆かつ正直に祈ることです。モーセのように祈れる信仰を追い求めていきたいものです。 (小林)
②マルコ9章23節:イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」①の建徳に導かれて、同じ個所を味わいます。信仰を伴った祈りには神の力が働き驚くべきことが起きます。だから、もしお出来になるならば…と言った半信半疑の祈りを、主は退けました。そして、「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって『移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない」(マタイ17:20))と言われました。すると、その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください」(24節)と。自分にはそこまでの信仰がない。しかし、全能の力を持つ主よ、あなたを信じます。信仰のない私をお助けください。自分には信仰がないと気づかされ、それを主に求めています。祈りは、そこから始まるのです。これが私の正直な祈りでもあります。 (浜田)
礼拝讃美歌 394番 (義しき人の 篤き祈りは 全能なる神の御手を動かす 山をば移し海に入るるも 信ずる者には能わざらめ)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2024-7-21 小林兄、浜田兄(24:45))