あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。      (Ⅰペトロ3章15節)

前回で使徒信条については終わりましたが、全体を振り返ってみます。そもそも信条というのは、「キリスト教信仰の中心的な点を簡潔にまとめた公的文章」です。信条=クレドで、私は信じます、という意味。信仰告白と言い換えられます。使徒=主の12弟子。しかし、使徒信条ができたのはずっと後ですが、語り伝えられ続けた伝承です。内容は、三位一体の神について言い表され、更に、信じて救われた人に与えられている恵みについて述べられています。パウロは「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです」とコリントの教会に宛てて書き、パン裂き(主の晩餐)の起源について述べています。主が再び来られるときまで、伝え続けるのです(Ⅰコリント11章23~26節)。それはパウロだけではなく、使徒の代表であるペトロも同じです。

そのペトロは冒頭の聖句で、いつでも弁明できるように備えていなさい、と勧めています。時代がどのようであろうと、誰かが「あなたが信じているのは、どのような神ですか」と尋ねられたとき、すぐに答えられることが必要です。あるいは、信仰に入りたい人を教え導くのに、使徒信条は役立ちます。ペトロは、私たちが抱いている希望について説明できるようにしていなさいと書きました。父なる神、子なるイエス・キリスト、聖霊なる神について簡潔に言い表されています。最も多く記されているのが、イエス・キリストについてです。降誕・十字架・復活・昇天に続いて、聖霊が信じる者すべてに注がれます。聖霊は、公同の教会・聖徒の交わり・罪の赦し・体のよみがえり・永遠の命を与える神として言い表されています。

キリスト同信会という名称には、使徒信条に言い表された信仰告白は、色々な教派の違いを超えて同じ信仰に立てるとの思いが読み取れます。これまでのキリスト教会は教派分裂を繰り返した歴史がありました。カトリック教会もプロテスタント諸教会も聖公会も、この使徒信条を信じることに違いはなく、一致できるのです。その意味で、使徒信条は信仰告白の原型と言えます。手元に置き、声に出して読み味わいたいものです