2024年6月2日
主日礼拝

《建徳要旨》
マタイ69節:天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。
「主の祈り」は福音の要約であり、更に「父よ」との呼びかけは福音の要約の要約であるという理解に基づく味わいです。真の神の御子である主は、常に「父よ」(アバ、父よ)と、親しく愛と信頼を込めて祈られた。弟子たちに主御自身と同じように「父よ」と、お呼びして祈ることを許されているのは、神の子として祈る資格が与えられることを意味します。でも、神は全知全能の創造主、義と聖と栄光に満ちた御方、その御心に背き、遠く離れた罪あるすべての人々にとっては不可能なことです。しかし、主はそのために十字架の御死(全人類の罪を負われた贖いの死)を遂げられ、救いのみわざ(福音)を成就されました。(ことば)(イエス・キリスト)を信じる人々には神の子となる資格を与える(ヨハネ112)。神が「アバ、父よ」と叫ぶ(呼ぶ)御子の霊をわたしたちに送ってくださった(ガラテヤ46)。お父さまと呼びかけて祈れる恵みには、主の愛と命がかかっていることを忘れずに感謝したいと思います。
御名が崇められますようにと続く御言葉の原文は、「あなたの御名が聖なるものとされますように」という意味であるとのこと。昔も今の時代も、御名が汚されている事実があるからです。エゼキエル36章22、23節に、あなたがた神の民が国々で汚したわが名を聖なるものとする、神御自身が汚された御名をきよめ回復されると語られています。主イエスが地上に来られたのは、そのためでもあります。主の十字架の許で神の義と聖、愛と憐みが一つになって表され、神の聖なる御名が回復されると共に人類救済のみわざも成就されました。福音(神からの喜びの知らせ、救いの真理)との深い関係がある冒頭の御言葉の意味を、心に刻み大切にしたいと、主の執り成しを切に願いました。ヨハネ1711節。 (柴川)

 先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2024-6-2 柴川姉)