2024年1月28日
主日礼拝

《建徳要旨》
詩編23:3b「主はわたしを正しい道に導かれる。」
元日に起きた能登半島の大地震では三方が海で、一方向からしかない道が寸断されたため、被災状況の確認や救援活動が阻まれた。道の大切さを痛感した。主は一つの道を備えられた。律法を守ることによって生きる道だ。でも、完全に守らなければならなかった。なぜなら、それによって与えられる救いも完全だからだ。だから、私たちには到底通ることはできなかった。でも、主はもう一つの道を用意していてくださった。それは主を信じるだけで通れる信仰による義の道だ。パウロはロマ10:6~7で、「誰が天に上るか」とか「誰が底なしの淵に下るか」と言ってはならぬと言った。この道は主がすでに、十字架で陰府に下り、復活されて天に上られたことによって拓かれた道だ。もはや、自分の力で天に上ることも底なしの淵に下ることも必要ない。この道さえ進めば救われるのだ。主の道を歩んで行こう。   (人見)

②Ⅰペトロ1章1-2節:…各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。
キリスト者は神に選ばれた者です。その選びは、この世の基準とは正反対。貧弱で取り柄のない者を、愛のゆえに選ばれたから(申命記7章6-8節)。その目的は、イエス・キリストに従い、その血の注ぎかけ(贖い)を受けるためです。そして、キリストの血による新しい契約の当事者とされるのです。すべては神の憐れみです。そのことをペトロは、最初の挨拶で伝えていて、単なる挨拶で終わっていないのです。Ⅱペトロ1章1節では「尊い信仰を受けた人たちへ」とあり、信仰は命と同じで、恵みとして受け取るものだと教えられます。神が私たちを選び、神が先に愛してくださったのです。それだから、神が私たちを選ばれたのは、愛し祝福するためであり、離れることなく共にいてくださるためなのです。その選びと愛を受けてこそ、私たちは神を愛しキリストに喜んで従えるのです。       (浜田)  

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2024-1-28 人見兄、浜田兄(24:50))