2021年7月25日
主日礼拝

《礼拝》
礼拝讃美歌⇒1番(旧4番)
『父なる御神よ』

聖書⇒フィリピの信徒への手紙2:9~11節
『このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。』

礼拝讃美歌⇒31番(旧158番)
『天つ御使いよ』

聖書⇒ヨハネの手紙一2:1~6節
『わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。これによって、わたしたちが神の内にいることが分かります。神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。』

礼拝讃美歌⇒152番(旧65番)
『神の御前には』

 

《パン裂き》
聖書⇒マタイによる福音書26:26~26節
『一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。』
礼拝讃美歌⇒146番(旧61番)
『子羊の血にて』

 

《建徳》

聖書⇒創世記37:1~4節
『ヤコブは、父がかつて滞在していたカナン地方に住んでいた。ヤコブの家族の由来は次のとおりである。ヨセフは十七歳のとき、兄たちと羊の群れを飼っていた。まだ若く、父の側女ビルハやジルパの子供たちと一緒にいた。ヨセフは兄たちのことを父に告げ口した。イスラエルは、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった。兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。』

聖書⇒創世記35:18~19節
『ラケルが最後の息を引き取ろうとするとき、その子をベン・オニ(わたしの苦しみの子)と名付けたが、父はこれをベニヤミン(幸いの子)と呼んだ。ラケルは死んで、エフラタ、すなわち今日のベツレヘムへ向かう道の傍らに葬られた。』

聖書⇒創世記35:22b~26節
『ヤコブの息子は十二人であった。
レアの息子がヤコブの長男ルベン、それからシメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、
ラケルの息子がヨセフとベニヤミン、
ラケルの召し使いビルハの息子がダンとナフタリ、
レアの召し使いジルパの息子がガドとアシェルである。
これらは、パダン・アラムで生まれたヤコブの息子たちである。』

聖書⇒創世記37:5~11節
『ヨセフは夢を見て、それを兄たちに語ったので、彼らはますます憎むようになった。ヨセフは言った。「聞いてください。わたしはこんな夢を見ました。畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」兄たちはヨセフに言った。「なに、お前が我々の王になるというのか。お前が我々を支配するというのか。」兄たちは夢とその言葉のために、ヨセフをますます憎んだ。ヨセフはまた別の夢を見て、それを兄たちに話した。「わたしはまた夢を見ました。太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです。」今度は兄たちだけでなく、父にも話した。父はヨセフを叱って言った。「一体どういうことだ、お前が見たその夢は。わたしもお母さんも兄さんたちも、お前の前に行って、地面にひれ伏すというのか。」兄たちはヨセフをねたんだが、父はこのことを心に留めた。』

聖書⇒創世記37:12~14節
『兄たちが出かけて行き、シケムで父の羊の群れを飼っていたとき、イスラエルはヨセフに言った。「兄さんたちはシケムで羊を飼っているはずだ。お前を彼らのところへやりたいのだが。」「はい、分かりました」とヨセフが答えると、更にこう言った。「では、早速出かけて、兄さんたちが元気にやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせてくれないか。」父はヨセフをヘブロンの谷から送り出した。』

聖書⇒創世記37:18~24節
『兄たちは、はるか遠くの方にヨセフの姿を認めると、まだ近づいて来ないうちに、ヨセフを殺してしまおうとたくらみ、相談した。「おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう。」ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から助け出そうとして、言った。「命まで取るのはよそう。」ルベンは続けて言った。「血を流してはならない。荒れ野のこの穴に投げ入れよう。手を下してはならない。」ルベンは、ヨセフを彼らの手から助け出して、父のもとへ帰したかったのである。ヨセフがやって来ると、兄たちはヨセフが着ていた着物、裾の長い晴れ着をはぎ取り、彼を捕らえて、穴に投げ込んだ。その穴は空で水はなかった。』

聖書⇒創世記37: 25~28節
『彼らはそれから、腰を下ろして食事を始めたが、ふと目を上げると、イシュマエル人の隊商がギレアドの方からやって来るのが見えた。らくだに樹脂、乳香、没薬を積んで、エジプトに下って行こうとしているところであった。ユダは兄弟たちに言った。「弟を殺して、その血を覆っても、何の得にもならない。それより、あのイシュマエル人に売ろうではないか。弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから。」兄弟たちは、これを聞き入れた。ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった。』

聖書⇒創世記37: 31~35節
『兄弟たちはヨセフの着物を拾い上げ、雄山羊を殺してその血に着物を浸した。彼らはそれから、裾の長い晴れ着を父のもとへ送り届け、「これを見つけましたが、あなたの息子の着物かどうか、お調べになってください」と言わせた。父は、それを調べて言った。「あの子の着物だ。野獣に食われたのだ。ああ、ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ。」ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、幾日もその子のために嘆き悲しんだ。息子や娘たちが皆やって来て、慰めようとしたが、ヤコブは慰められることを拒んだ。「ああ、わたしもあの子のところへ、嘆きながら陰府へ下って行こう。」父はこう言って、ヨセフのために泣いた。』

聖書⇒詩編105:17節
『あらかじめひとりの人を遣わしておかれた。奴隷として売られたヨセフ。』

礼拝讃美歌⇒395番(旧252番)
『慈しみ深き』

 

《建徳要旨》

「ヨセフの夢」

創世記37章:複雑な大家族の中で甘やかされて育った17歳のヨセフ。彼だけが特別の晴れ着をもらい、兄たちは嫉みます。その上、家族の皆が自分にひれ伏す夢を見たと、相手の気持ちも考えずに話します。告げ口、特別の服、高慢に思える夢の3つが重なって、兄たちは怒り心頭。12~14節怨念の地シケムにいる息子たちを案じた父は、ヨセフを使いに出します。「行って来ます」と出て行くヨセフ。数日したら帰って来るはずだった。ところが、何故か戻って来ない。人身売買という恐るべき事件が起きていたからです。数日して戻って来た息子らから、息子ヨセフが野獣に食い殺されたと告げられ、血の付いた服を見せられます。父は身をよじって泣き悲しみます。

詩編105編17節:「(神は)あらかじめひとりの人を遣わしておかれた。奴隷として売られたヨセフ」ヨセフは兄たちの憎しみによって、奴隷としてエジプトに売られたのです。驚くことにその背後で、神が遣わされたのです。人間の罪の背後にも神の働きがあるからです。神は私たちの犯す罪や過ちさえ、益に変える力をお持ちです ヨセフの夢は、彼の中にキリストがおられるゆえに皆が彼をひれ伏し拝むのです(フィリピ2章10,11節)。もしキリストがヨセフの中にいなかったら、兄たちのしたことを赦すことも、そこから立ち上がることもできなかったに違いありません。

ある御婦人のこと。いつものように朝、会社に出勤するご主人を送り出しますが、夜、病院から「御主人が事故で、即死状態です」と連絡されます。まさか・・と思うことが起きるのですね。父ヤコブは直ぐに帰って来るはずのヨセフが死んだと告げられます。このように、人生には思いがけないことが起きます。まさかという坂があります。それを覚え、日常の当たり前の生活を、一期一会の心で過ごしたいものです。

 

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2021-07-25 K・H兄)