あなたは、「自分の力と手の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主である。(申命記8章17、18節)
上記の聖句にあるように、物事が上手く運んで富を築くと、高慢になって、つい自分の力や能力でやったと考えがちです。そうではなく、皆の協力や助けがあり、その背後で神が後押しをして力を与えてくれたからだ、と気づく謙虚さを持ちたいものです。
意見が対立してけんかになる時、大抵の場合、お互いに非があるものです。そこで相手のせいにするのですが、そうしたら、そっちだって非があるとやり返され、争いは続きます。そうしないで、自分の方が悪かったと先に謝り、和解の手を差し出すのが謙遜さです。夫婦関係では、些細なことで争いになります。感情的になって売り言葉に買い言葉が飛び交うものですが、どちらか一方が低くなって頭を下げれば争いは終わります。プライドを捨てる謙遜さが、高慢に打ち勝つのです。
争いはちょっとした事で起きますが、放っておくと溝が段々深くなります。主イエスは「まずあなたが先に相手の許に行って、仲直りしなさい」と言われました(マタイ5章24 節)。相手が謝りに来るのを待つのではありません。こちらが先に行くのが謙遜さです。
私たちは「今日これをし、明日はあれをしよう」と、計画を立てます。しかし、天候の影響や事故等で、その通りに出来ない場合があります。そんな時、つい苛立ちますが、何でも自分の思い通りになるとは限りません。そのことを謙虚に受け止め、「主の御心であれば(主、許し給えば)、生き永らえて、あの事やこの事をしよう」と言うべきです(ヤコブ4章15節)。人生を決めるのは自分ではなく、主なる神だからです。こうした謙遜を、実生活の中で失敗しながら学び、体得したいものです。(2021年11月23日)