2021年11月21日
主日礼拝
《建徳要旨》
①ヨハネ13章1~17節:それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた(5節)。謙遜と愛を十字架の前夜、弟子たちに示された主イエス。洗足は卑しい奴隷のすること、それを進んでされた。驚くペトロに、「今は分からなくても、後で分かるようになる」と言われた。後とは、十字架と復活、昇天と聖霊降臨の後。聖霊を受けて、旧約聖書を読み直し、ああ、そうだったのか、とパノラマが開けるように分かったに違いない。謙遜の模範を示され、自らを犠牲にする愛で愛されたことが。それをヨハネは書き残した。礼拝を表現する英語がservice(相手に仕えるサービス)。礼拝は私たちが神の前に平伏し仕えることなのに、反対に、神がキリストを通して私たちに仕えて下さっていると気づかされます。それを示すのがルカ22章27節です。 (K・H)
②ローマ12章1~3節:キリストにおける新しい生活
新しくされた者として12章の御言葉をどれだけ実感して受け止めているのだろうか。心もとない思いでいた。祈りの会に招かれ、ある姉妹の証しを聴いた。ローマ12章は、ああしなさい、こうしなさいと、自分が打ちたたかれているような読みたくない箇所。そんな時、入院中の友へのお見舞いが、本当に喜ばれていたのかを思わされる事情が与えられた。愛の乏しい自分の隠された心を神様に示され、純粋に相手の魂に触れたいと祈った。自分がするのではなく、こんな私を何とかしてくださいと神様の憐みを祈った。不思議と、今まで重荷だったローマ12章が喜びの章に。心を新たにすると神様が変えてくださることが実感でき嬉しかったとの証し。時にかなった主の御業を思い、尊い御名を賛美します。 (M・S)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2021-11-21 K・H兄、M・S姉)