朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコ1章35節)

 「三つ子の魂百まで」と諺(ことわざ)にありますが、幼い時に教えられ、植え付けられたことは死ぬまで続きます。それは、信仰に於いても同じと言えます。

私は大学1年の6月に、イエス・キリストを信じて洗礼を受けました。そして8月に行われたキリスト者学生会(KGK)の夏期学校に参加しました。三泊四日です。そこで先輩キリスト者から教えられたのが、デボーションと呼ばれる、神との時間を一日の最初に持つ事でした。「朝起きたら、すぐ神に向かって挨拶し、祈りなさい。そして聖書を開いて読みなさい。これを習慣にしなさい」と、教えられました。その通りにしようと決心したのですが、それがあったから続けられたのです。三つ子の魂百まで、です。

冒頭の聖句をご覧ください。忙しい日中の活動を始める前に主イエスは朝早く起きて、父神との交わりを持っていました。誰にも邪魔されず祈り、聖書を読んでおられました。そこに力の秘訣がありました。それに倣って、私たちも神との時間を持つ必要があります。それを私は、信仰に入ったばかりの時に教えられました。聖書は通読と言って、最初から通して読むように言われました。聖書全巻を読み通すのは簡単ではありません。それが出来たのは、読み始めてから何年も経ってからでした。自分の聖書知識が少ないことに気付かされたからです。一度、聖書全巻の通読を終えますと、次の年にもう一度、通読に励みました。こうして牛が反芻するように、聖書を繰り返し読んでいます。

最近は一人ではなく妻と一緒に、旧約と新約を1章ずつ朗読し合っています。二人で読めるのは恵み多いことです。また、礼拝前の聖書通読会に参加して、兄弟姉妹と読めるのも恵み多いことです。主に召されるその日まで、聖書を読み祈り続けたいと願っています。(2021年10月30日)