2021年10月31日
主日礼拝

《建徳要旨》

①民数記21章4~9節:蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。イスラエルの民は荒野で絶えず不平を口にしました。パンがない、飲む水がないと。更に、神のマナを「こんな粗末な食物」と文句を言いました。怒った神は蛇を送り、多くの死者が出ました。すると民は罪を認め、蛇が取り去られることを願う。モーセは神に祈った。しかし、蛇はそのままでした。祈りは聴かれなかったのではなく、信じて仰ぐ信仰による救いを示されました。神には神の方法があります。主イエスはヨハネ3:14,15で、ご自分と青銅の蛇を十字架で結び合わされました。蛇は呪われたもの。キリストは、私たちのために呪いとなって下さったのです(ガラテヤ3章13節)。WHO(世界保健機構)のマークは、杖に蛇が巻き付いたもの。コロナ禍や多くの苦しみが世にはあるが、救いはキリストの十字架を仰ぐ信仰による。(K・H)

②詩編24編3節:どのような人が…聖所に立つことができるのか。この詩編から3つのことを教えられました。
①詩人は、3節の問いに4節で答えを示しています。でも、それは大変厳しく、私には到底不可能です。ところが、取ってつけたかのように5節でもう一つの答えを書いてくれました。この4節と5節との行間に十字架が隠されているのではないかと教えられました。
②6節の「ヤコブの神よ」って何でしょうか。他の翻訳では「ヤコブの神の御顔」や「御顔を求めるヤコブの子孫」という訳がありました。でも私は「ヤコブが一途に祝福を求めた神さま」だと教えられました。
③7~8節と9~10節とはほとんど同文です。それは詩人が強調したのかも知れません。でも、私は同じことが二度起こるのだと教えられました。主は「栄光に輝く王」としてご降誕になり、そしてご再臨になることを示しているのではないでしょうか。   (N.H)

  先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2021-10-31 K・H兄、N・H兄)