天の下では、すべてに時機あり、すべての出来事には時がある。生まれるに時があり、死ぬに時がある。 (コヘレトの言葉 3章1,2節)
流れ行く時間の中で、私たちは世に生れ、そして死んで逝きます。それがいつなのか、知らないのです。でも、神さまの側ではすべてが定められているとコヘレトは言います。
先月2月15日(土)の夜7時に、敬愛する方(五十嵐葉子姉)が神の召され、92年の地上生涯を終えました。眠るように安らかな最期でした。それから2日後、長女が初めての子を出産しました。17日(月)の午前4時でした。出産予定日は23日(日)でしたから、しかも、まだ生まれそうにないと聞いていましたから、誕生の知らせに驚きました。
1つの命が終わると、それに代わるようにして別の命が新しく生まれます。そうして、世の中は移り変わって行きます。それは、昔も今も同じです。私の父は57歳で亡くなったのですが、その少し前に初孫が誕生し、父はその孫を病室のベッドで抱きました。その時の光景が残された写真と共に、今も脳裏に焼き付いています。誕生と死、喜びと悲しみ、迎えるのと別れること、この明暗を身近に経験しました。
コヘレトは旧約聖書の賢人ですが、世の中に生じる様々な出来事を取り上げ、すべての出来事には神が定めた「時」がある、と出来事を列挙しています(3章2~8節)。そして、「神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた。だが、神の行った業を人は初めから終わりまで見極めることはできない」(3章11節)と結んでいます。
これから先、どういう事が起きて来るのか分かりません。でも、神様は一番良い時に、一番良い方法で私たちに対応してくださいます。それを信じるのが信仰です。イエス・キリストを信じる生き方は、時に適った出来事に出会わせていただき、感謝ばかりです。それを、この2週間の出来事を通して味わい知らされました。