①マタイ21618節:ヘロデは大いに怒った。そして…ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。何故このような事が起きたのか。幼児イエス一人を守るために、神は多くの幼児を犠牲に供したとも考えられる。この疑問に小川礼一兄が、次のように答えている。殺された幼児らは決して犬死したのではなく、神様が全世界幾憶の人間を救う主の御業の一助として用いられたのである。私共は罪人ゆえ、主の御業に参与する資格も値打ちもない。そんな者がもし釘1本、糸1筋でも運ぶお手伝いをさせて頂けるなら、無上の光栄である。あの2歳以下の幼児たちは、その大きな光栄を担った。それゆえ主のご再臨の時、ひときわ目立って輝く星となる。それを見て、幼子を無残にも殺されたラケル(母親たち)は、かつて流した涙が賛美に変えられるのを見る。   (T/M兄)

②詩編91111節: 暗黒の中を行く疫病も 真昼に襲う病魔も…あなたを襲うことはない。新型コロナ・ウイルスに感染することを、誰もが恐れ、不安になっている。ウイルスは目に見えない敵。どこに潜んでいるか不詳。それに個人として集会としてどう対応すべきか問われている。冒頭の御言葉は、主の完璧な守りを述べている。そんな今、70年前に出版されたカミュ著『ペスト』が読まれている。描かれた状況が非常に似ているから。主人公の医師リユウは、後手に回る行政の対応を前に、疫病ペストにどう立ち向かったか。大変な現実の中で生じる様々な苦闘が描かれる。問われるのが、主イエスの十字架。そこで神の刑罰と呪いを身代わりに受けられ、ご自分を信じる者がそれらに襲われないためであった。そこに身を置きたい。(K/H兄)

建徳の録音です。

(建徳 2020-03-01 TM兄、KH兄 23:24)