22、永遠の命を信じます。 (使徒信条)
聖書には命を表す言葉が2つ出て来ます。肉体の命や魂を表す言葉がプシュケー、そして永遠の命を表す言葉がゾーエーです。永遠の命とは無限に長く続く命というより、永遠=神なので、神の命を意味します。死から復活されたキリストの命のことです。
体の命は、地上に人として生まれた誕生日に始まります。厳密には、受胎した時が命の始まりです。それでは永遠の命は、いつ始まるのでしょうか。イエスを自分の救い主(キリスト)と信じた時です。ですからキリスト者は、肉体の命と永遠の命の2つをいただいているのです。命は生きているので活動します。交わりを持ちます。永遠の命は神との交わりを持ちます。Ⅰヨハネ1章2節:この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし,伝えるのです。…わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。聖霊の働きによって、私たちには父神と御子との交わりが与えられているのです。そこには喜びが溢れています。
主イエスは十字架を目前にして、次のように祈られました。「父よ、時が来ました。…子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」と(ヨハネ17章2,3節)。ここで「知ること」と言われたのは、知識として知ることではなく、夫婦が交わってお互いを知るのと同じ知るです。アダムは妻エバを知った(創世記4章1節)。
青函連絡船洞爺丸が台風で沈没した時、船内には全員に行き渡る救命胴衣が不足していました。それを知ったある宣教師は自分の救命胴衣を一人の青年に手渡し、「あなたは死んでも天国に行けますか。私には永遠の命が与えられているので、死んでも大丈夫です。もし、あなたは命が助かったら、キリスト教会に行ってください。イエス・キリストを信じてください」と言い残しました。その青年は助かり、自分のために死んで行った宣教師の言葉どおりに教会に行きました。
永遠の命が与えられているから、肉体の命を軽視しても良いのではありません。ただ、自分の命だけに固執することから解放され、人を助けることに目が向けられるのです。