9、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ・・・。(使徒信条)

もしピラトが、イエスを十字架につけた総督でなかったら、彼は無名で終わったかも知れません。しかし、彼の名はイエスの十字架と共に覚えられました。ローマ軍の占領下にあったユダヤ人議会には、誰をも処刑する権限があたえられていませんでした。そこで彼らは、イエスがご自分のことを、神である救い主、王、キリストであると告白したことに対して有罪を宣告しました。彼らはイエスが神の神聖さを汚していると考えたのです。その上で、総督ピラトにイエスを死刑にするよう引き渡しました。訴状を聞いたピラトはイエスは死刑に値する罪を犯してはいないと判断しました。それで、何とかして放免しようと努めました。しかし、扇動された群衆は「十字架につけろ!」と叫び続けました。そのため騒動になりそうなのを見て、ピラトは皆の前で手を洗って、「この人の血についてわたしには責任がない。お前たちの問題だ」と投げ出したのです。無実の人が死刑にされようとしているのですから、総督の権限で無罪放免にできたかも知れないのにです。それゆえピラトの態度は無責任と言えますが、政治の世界ではままあることです。大事なのは自分の地位の安泰なのです。このことで暴動でも起これば、自分の首が危うくなりかねません。

40年前にラジオで聞いた番組が今も記憶に残っているのですが、それは総督ピラトの人物紹介の番組でした。講師の名前は忘れましたが、番組最後に司会者の三国一郎さんが、「では、ピラトは主イエスのことをどう思っていたのでしょうか」と尋ねました。すると「多分、何とも思っていなかったのでしょう」と、講師は答えました。聞いていて、えっと思ったのです。まさか、そんなことってあるのか、と驚いたのです。ピラトにとってイエスという人物も、十字架の死という出来事も、一過性のものに過ぎなかったのです。十字架での処刑は次々と行われ、それにピラトは承認の印を押したのでしょうから。そのようなイエスの十字架が、キリスト教信仰の中心になろうとは、そして、自分の名前が信条に書き記されようとは、想像もしなかったに違いありません。悪の力が強引にイエスを十字架に追いやり、救い主を排除したかに思えたとしても、それも神のご計画の中で起こったことなのです。