2024年4月14日
主日礼拝

《建徳要旨》
Ⅰコリ110b節「心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」
今、政治の世界では派閥の是非が問われている。人は本能的に群れを作りたがる。コリントの教会でもパウロ派や、アポロ派、ケファ派があると耳にしたパウロは人間崇拝をやめて、キリストにあって一つになろうと呼びかけた。だから、洗礼すらごく少数の人にしか授けずに済んだことを感謝しているとまで言った。洗礼の多さで自分が祀り上げられるのを恐れたからだ。そんなことより、自分の使命はひたすら福音を語ること。そのために「この世の知恵の言葉」(20節)ではなく、「十字架の言葉」(18節)を互いに語り合おうと勧めた。「人を見たら主が疎かになる。主を見たら人に拘らなくなる。」私たちの集会の先輩方がいつも言っておられたことだ。(使徒2:46~47)に記された集会の姿、これこそ私たちのお手本ではないか。     (人見)

②Ⅰコリント15章58節:
主に在って無駄な事は何一つない。人生に無駄はない。とはいえ、長い年月の間には、道から外れたり、穴に落ちたりします。死の陰の谷をも通らされます。でも、主が共に居てくださるので、失敗のまま終わることはない。主のためにしたことは、良い結果が出なくても、そこで払われた労苦や苦労は決して無駄にはならない。キリストが死に勝利されて復活し、今も生きて働かれているから、すべてが益になるのです。挫折や失敗で終わらないのは、復活のキリストが働かれるから。ヨハネ612節:イエスは弟子たちに「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。捨てられて当然のパン屑を、主は大切に集められた。それは、少年時代から貧しい暮らしを体験として知っておられたから。だから、取るに足りない者をも、決して無駄にはされない。何という恵みでしょうか。復活の主はすべてを益に変えられます。ここに希望がある。    (浜田)

 先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2024-4-14 人見兄、浜田兄 (30:15))